2016-03-23 第190回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
しかし、残念ながら、個人の尊厳が利己主義や刹那主義に堕してしまう、ゆとり教育が緩み教育となってしまったり、教育の荒廃が叫ばれるようになり、十年前に第一次安倍政権において教育基本法を改正をさせていただきました。
しかし、残念ながら、個人の尊厳が利己主義や刹那主義に堕してしまう、ゆとり教育が緩み教育となってしまったり、教育の荒廃が叫ばれるようになり、十年前に第一次安倍政権において教育基本法を改正をさせていただきました。
一つがゆとり教育、もう一つが緩み教育、もう一つが教育再生、こういうふうにこの三十年間を私なりに総括したいと思います。 やはり、受験戦争、受験地獄、そして受験だけが人生かと言われていた時代を振り返れば、生きる力ということに対して、総合的な学力が評価されてしかるべきだ、これがまず、ゆとり教育の一つの出発点でありました。 とはいいながら、私は、そこで教職員も戸惑ったと思うんですよね。
さて、学力なんですけれども、ゆとり教育、ゆとり教育はゆとりを持って教育をするのは大事なんですが、緩み教育になっていたという反省から、第一次安倍内閣でそれの見直しをいたしました。そして、学習指導要領を改訂いたしまして、その結果、先日、OECD諸国の学力調査であるPISAという学力調査でありますが、ちょっとパネルをお願いいたします。
そして、ゆとりを持って教育するのは当然なんですが、緩み教育になっていたんじゃないかということで、学習内容の精査等々もいたしまして、あのときの学習指導要領の下にできた教科書が去年から中学校では使われているんですが、教科書のボリュームが二五%アップ。数学では三三%アップ。理科では四十数%アップという形で、学力もこれから徐々に戻ってくるのではないかというふうに思っております。
一人一人の個性があるように、当然、教育によって違いがあっても当然だし、一人一人の能力をいかに伸ばすかという意味で、ゆとり教育からの脱却といいますか緩み教育からの脱却、これは現場でも意識としてはあるのではないかと思いますし、具体的な学習指導要領等を通じながら、一人一人の個性を伸ばすような教育に早く転換していくような施策を文部科学省が先頭に立ってやっていくことが、今我が国の教育界において必要なことだと考
委員御指摘のように、昔は土曜もあったわけでございますが、ゆとり教育が結果的に緩み教育になってしまった部分があるのではないかという中で、それぞれの自治体でも土曜の有効活用を図っているところもあり、それを地域と一体化の中でうまく進めているところもございます。
日教組が大手を振ってまた緩み教育、ゆがみ教育しちゃうんですよ。子供たちがかわいそうですよ。良心的な蓮舫さん、そんなこと許せますか。大臣、いかがでしょう。
皆さんよく御存じだと思いますけれども、九〇年代、ゆとり教育という名前のもとに、私ども、これは緩み教育だ、たるみ教育だ、こういうふうに言ってきたわけですけれども、指導することが悪いことであるかのような、あるいは努力することが悪いことであるかのような、そういう考え方が教育行政の中にも学校現場の中にも非常に蔓延した時期があります。そういう中で、御承知のように、学力は十年間で大幅に低下いたしました。
本来のゆとり教育の理念は、間違っていない、正しいことだと我々思っているわけでございますが、学校現場においては、父母の皆さんからすると、ゆとり教育という理念が緩み教育になってしまっているのではないか、そういう危惧を持っておられる方々が多いのではないかと思います。
どこで狂っちゃったのかな、どこを直せばいいのかなという中で、ゆとり教育が緩み教育に転じてしまった。自主性尊重、これが教育の責任放棄につながってしまった。さらに、個性尊重、これが放任主義に立ち至ってしまった。さまざまな問題があるわけです。 今、急いで教育改革に取り組まなきゃならない、具体的に取り組まなきゃならない。その点、文部科学大臣の決意をお伺いしたいというふうに思います。
特に最近は、ゆとり教育ならぬ緩み教育の弊害で、その学力低下が顕著にあらわれてきていることは皆さん御承知のこととは思いますが、今後、しっかりと知識について子供たちに学ばせなくてはいけないと思います。それは、生きる力や英知というものは知識なくしては生まれてこないという現実を直視せねばならないということです。
私みたいに勉強が嫌いな人間にとっては、ゆとり教育は緩み教育になっちゃうんですね、ゆとり教育じゃなくて。ですから、やはり中程度の人に合わせて教育の中身というのは考えていくべきだと思うんですね。 そこで、私は、結論から先に申し上げますが、授業時間を削減することは反対です。ですから、もとに戻した方がいいと思います。授業時間をもとに戻せば、まず、教科書の中身を削減したのももとに戻せますね。
今回のゆとりと言われた、そのゆとりを持ってもっと体験学習をし、もっと、ただ単なる知識だけの学力じゃなくて総合的な人間として生きていく上での力をつけようという観点、そういう面からゆとりを持ってという言葉が、いつの間にか、土曜日も休みになったので勉強しなくていいんだという緩み教育だと言われる。これは困りますと。学ぶべきことはちゃんと学んでもらうし、学校に学力低下があってはいけません。
私は、今のゆとり教育という言葉が、ややもするとすぐそれが緩み教育にとられるような感じがするので、余りゆとり教育、ゆとり教育と言うと、何かもう学ばなくていいんじゃないかというようなイメージがありますから、こういうふうにとられると困るわけでありますが、総合的に考えたときに、やはり心に余裕を持って、学ぶ余裕を持って、意欲を持たせるような教育が今は求められているんだ、そういう方向で今やっているんだということですね
特に、ゆとり教育が緩み教育というふうなとられ方をしたことについては、これはいいことじゃないというので、学校というのは学ぶところですよというのが「学びのすすめ」だったと思います。その方向で、やはり個々の能力には差がありますから、もっと学びたい人にはどんどん学ばす方法も要る、しかし、基礎、基本はしっかりやろう。
ただ、学ぶ意欲はどうかとか、ゆとり教育が何か緩み教育にとられて、学びを少し緩めていいんじゃないかというふうにとられたということは、これは非常に心配なことですから、このことは、やはり学校現場において学力低下を来してはならない。
小泉総理も、今度別荘にいらしたら、この話題もぜひしていただきたいというふうに思うんですけれども、青少年育成推進本部長の小泉総理として、ゆとり、緩み教育がもうゆがみ教育にまで行っているんではないか、これが普遍的に広がってきています。組織的に広げられております。ぜひ教育問題の特別委員会を、個人情報特とかイラク特のように、特別委員会をこの次の臨時国会でつくっていただきたいと思います。
○鎌田委員 今、いわゆる一般的に言われているゆとり教育とは違うという御答弁がございましたので、それならば私も少し受け入れられるかなと思うんですが、どうしても、「ゆとりのある学校教育」という表現があって、そして「教育の内容」となりますと、今ゆとり教育の中では、とにかく、ゆとり教育が緩み教育になっているんじゃないかと、そして、学力低下が非常に問題になっていて、保護者の皆さんからも心配の声が寄せられ、そして
偏差値教育のことがございましたが、ゆとり教育というのも、何か緩み教育のようにとられてしまって、そうじゃなくて、今御指摘のあったような、人間の生きていく上での大事なもの、規範、そういうものをもっとゆとりの中で見つけていこうということからスタートしたはずなんですね。もちろん学習は学習としてちゃんとやる、しかし、もっとそういうことが大事だ。その原点は、例えば家庭教育にある。そこはどうなのか。
○中川(昭)委員 さてここで、稲津陳述人と、現に大学生としてこの会に来ていただいているということ自体、この会の成功の一つの原因だと思いますけれども、稲津さんと佐藤さんに、憲法と直接関係あるかどうかも別にいたしまして、現在の教育、ゆとり教育というふうに最近言われておりますが、ゆとりというよりも緩み教育と言っている人もいるわけでありますけれども、現在の日本の教育について、まあ佐藤さんの場合には高等教育ですから